半分、青い。結構好きな朝ドラです。毎日楽しみに見ています。
前回の【わろてんか】は途中挫折したのですが、半分、青い。は、テンポがよくて、朝から楽しい気持ちになることが多いです。
鈴愛役の、永野芽郁さんの溢れだすパワーが好きなのもありますが・・・
半分、青い。の感想は書いていませんでしたが、今日は書きたくなったので書きます。
半分、青い。における子育て、過保護、過干渉についてです。
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半分、青い。に見る子育て【過保護】を考える
半分、青い。を見ていて、基本は楽しんでいるのですが、子供と接する描写が少しやり過ぎに感じてしまうことが多かったです。
春さんの鈴愛に対する愛情も少し心配過ぎというか、オーバーというか、虐待する親(や教師)がいけないのは、最近よく叫ばれていますが、
少々、春さん、軟弱過ぎないか?子供(娘)に固執し過ぎてないか?
と、鈴愛が東京に旅立ったくらいの時も、思っていました。
子育てにおいては、虐待、無関心と同じくらい子供の人格形成に悪い影響を与えるのが、過保護、過干渉、です。また、親の想いを押し付ける、押し付け全て、子供の人格形成において悪い影響を与えます。
【子育てでダメなもの】
- 虐待、無関心
- 過保護、過干渉
- 親の押し付け
翼の場合
121話で、分りやすくダメな子育ての1例として、律の妻、より子が、息子の翼の勉強で、しかりつけていました。
より子は、翼に、1番じゃないとダメだと言ってました。
(2番じゃダメですか?ってありましたよね。蓮舫議員の言った言葉に・・・とそれは、置いておいて。)
1番を強要する親って分かりやすい、駄目親ですよね。
まあ、より子の場合は、【翼が、三角形の角度がいくら教えても覚えない】【1番じゃないとダメ】は、鈴愛と、律と、より子の三角関係を示唆したものであって、またその辺の芸の細かさも、半分、青い。の好きな理由ですけどね・・・
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かんちゃんの場合
一方、かんちゃんです。121話では(数話前より)仙吉さんが亡くなり、新たにできるカフェの名前を鈴女の娘のかんちゃんだけが、聞いていた。
仙吉と誰にも言わないということを約束したのでということで、かんちゃんは、頑なに口を割りません。
それを、どうにか聞き出すというストーリーで物語が進んでいました。
私もそうです。そして、沸々と思いが募っていったのです。
子供様様だな。かんちゃん様様だなと。
虐待に近い方法で、吐かす方法もあったでしょう。
例えば、言わない限りご飯を与えない。外に出ていなさいなど。
それが、今回の解決策は、かんちゃんを、おやつとジュースでおびき寄せ、かんちゃん愛用のぬいぐるみココンタに携帯を仕込み、小細工までして、ココンタを喋る人形にして、聞き出すという、なんとも現実的でないメルヘンチックな解決方法でした。
と思いつつ。
勿論、先に挙げた、虐待方法は論外です。しかし・・・
人が死んだら、もう戻ってこないこと、大切な仙吉さんの想いがこもった五平餅を売るお店の名前なことを、説き伏せて、人の死とは何か?、仙吉さんの想いを大切にしたい
ということを、かんちゃんに教える絶好のチャンスだったのではないでしょうか?
それを、鈴愛、宇太郎、春、草太、建人、と、その場に大人5人もいて、おかしな子供に迎合する茶番劇を繰り広げている、楡野家のご一同様。
かんちゃんは、あの様子なら、人の死がどういうものか分かる年齢になっています。
それを、ココンタをお話人形、しゃべる妖精と化して、答えを導き出すあたり・・・
コメディ要素が強い、半分、青い。というのはわかっていますが、肝心な所では、締めてもらわないとですよ。
過保護過干渉でも人間の性格は歪んでしまうということを、ぜひ、製作者には覚えておいて欲しいなと思いました。
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まとめ
子育てって、正解がないからこそ、主観になりやすいし、だからこそ難しいです。
子供の意思を尊重しないで、親の想いを押し付けることも良くありません。
だからと言って、過保護、過干渉も、子供の人格形成において、歪みが生じます。
人とうまく関われないなど、問題が生じます。結果的に困るのは、育てられた子供です。
最終話まで見た感想⇒半分、青い。最終話まで見た感想。半分青いとは?何だったのかを考えた