君の膵臓をたべたい(ネタバレ)感想・考察です。
人気があるようで、漫画化の映画も控えているようですが、ごめんなさい。
どちらかというと、酷評に近い感想です。
自分が観て感じた違和感。どうしてそうなった?というのメインで書きます。
(本ページの情報は2018年10月時点のものです。最新の配信状況は U-NEXTサイトにてご確認ください。)
スポンサーリンク
君の膵臓をたべたい・あらすじ
高校時代のクラスメイト・山内桜良(浜辺美波)のクラスメイトの言葉をきっかけに母校の教師となった【僕】(小栗旬)。彼は教え子を話すうちに、彼女と過ごした数か月間を過ごしていく。
膵臓の病を患う彼女が書いていた「共病文庫」(=闘病日記)を偶然見つけたことから、【僕】(北村匠海)と桜良は次第に一緒に過ごすことに。
だが、眩いまでに懸命に生きる彼女の日々は、やがて、終わりを告げる。
桜良の死から12年。
結婚を目前に控えた彼女の親友、恭子(北川景子)もまた、
【僕】と同様に、桜良と過ごした日々を思い出していた。
そして、ある事を、きっかけに、桜良が12年の時を経て伝えたかった
本当の想いを知る2人。
君の膵臓をたべたいとは
住野よるさんの原作、作品です。
主題歌はミスチルのhimawari
主題歌が映画を盛り上げた部分も大きい気がします。
スポンサーリンク
君の膵臓をたべたい・感想・考察
まず、言いたいことは、なんで【君の膵臓をたべたい】になっちゃうのかということ。
100歩譲って、文学的なのかもしれない。しかし、考えてみてほしい。
【君の膵臓をたべたい】は、君(桜良)が、死んでいないと、君の膵臓は食べられないのである。
生きたまま膵臓は食べられないのです。
自分の病気の部分を、治癒するため、他の動物の該当部位を食べると治ると信じられていたと説明が出てきますが、それもどうも呪い的で好きではないですが・・・
さらに言いたいことは、【僕】は膵臓病じゃないでしょう?なので、膵臓食べる必要ないよね?どちらかというと、【僕の膵臓を君(病気の桜良)に食べてほしい】でしょうよ。
と、観ててなりました。
桜良の闘病
桜良は、高校生だが、膵臓の病気で余命いくばくもない。
膵臓の病気で死ぬ病気、膵臓がんでしょうか。でも、女子高生が膵臓がんってかなり、なる確率低いですよね。
昔の人は、病気で、弱った臓器を食べると元気になったそう。
それを、知った膵臓病の桜良は、膵臓をたべたいと言う。
しかし、【僕】との初デートは、スイーツパラダイスに行く(笑)
膵臓は食べていない。
おいおい、シビレ=膵臓って知ったなら、
となりました。はい。
病人の葛藤がない
それと、急に死に至る病気が発覚した女子高生が、あそこまで、あっけらかんと装えるか。ということ。
桜良が、病気になっての葛藤が描かれていないのは、やっぱり違和感。後から、少し出てきますけどねぇ。
私は比較的、病気の人たちと近い所にいて接する機会も多かったですが、女子高生で急に病気になってしまい、闘病中になった人達も何人か見てきましたが、桜良のように、あそこまで強く生きてしまわれると、逆に嘘っぽい。
もっと小学生とか小児の頃に病気になってしまった人は、桜良くらいの強さ溢れる人が比較的多くいるように感じます・・・
女子高生で病気になると、なんで突然急に私だけ?って思う女の子が多いのかな?という印象と、病気になっての葛藤が描かれていない点。
比較すると、1リットルの涙という、突然難病になってしまう女子高生の物語で、実話を元にしたドラマも、それだけ泣いたという、それだけ苦しんだという葛藤の表れのタイトルです。
死に至る病気を患っているように見えない
余命宣告されているような状況ですよ!
他人を構っている暇もないはずです。
体力だってなくて、フラフラのはず。
膵臓の病気なら、高熱等も出るはずです。
病人なめてもらっては困ります。
まあ、百歩譲って、超絶片思いだった、【僕】と近づくことができて、ラッキーラッキーラッキー
と思っているなら、別ですが。
なんで、こんなに普通の暮らしが送れないの?と葛藤もなく、桜良登場最後のシーンはリュック背負ってルンルンに走っている姿です。
病気設定なのに、ノースリーブ(薄着)でリュック背負って、走るとか・・・
病気を全うしてほしかった
はい、来ました。
死に至る膵臓の病気、(おそらく膵臓癌)の女子高生が掛かる割合、万に一つくらいだったのに、さらに上の事件が起こります。
ここまでくると、ある意味奇跡!逆奇跡状態です・・・
通り魔に襲われて亡くなるのです。
そして、北海道旅行の待ち合わせで待っていた【僕】が桜良に最後に送ったメールが、
君の膵臓をたべたい
です、
君の膵臓をたべたい=愛してる
の表現で、この映画では使われているようなのですが、
な・ぜ・に?です。
純愛が急にグロテスクな方向に行く?
誰かが亡くなってよっぽど愛していても、【たべたい】になります?
よーく考えてみてください。
なぜに、君の膵臓がたべたいんだよ!です。
私が死んだら、膵臓たべていいよって言われたから?
【食べたい】を【たべたい】にひらがなにしたって、ダメ!ダメ絶対!
せめて、闘病を全うしてほしかったです。膵臓病どこ行っちゃったの?膵臓をたべたいって関係なくなっちゃったですよね。通り魔によって。
最大に違和感を感じるところ
そこに感動している人が多いポイントですよね?
大親友の恭子のことを想って、病気すら打ち明けない・・・
淡い恋心を抱いていたとは言え、【僕】にとってはお母さんのような愛情を注ぎ・・・
って思います。
死ぬ間際まで、誰かを思って、弱音もぶちまけることもしないことを賛美する。
実話ではなく、創作ものだからこそ、思います。
君の膵臓をたべたい良かったところ
良かったところは、
桜良は、【僕】をきちんと認めていたところ。
【僕】は言うなれば、クラスの中でも空気に近い存在だった。
そんな【僕】に目を向けられたのは、桜良が病気になったからというのはあると思う。
星の王子さまの本が出てきますが、
星の王子さまといえば、
大切なことは目に見えない
ですよね。
生と死を繋ぐ何か手紙だったり、闘病日記だったりが登場します。
12年経っても、手紙や、闘病日記などで、綴った桜良の想いは、色褪せません。
桜良の想い通り、恭子と、【僕】が仲良くなり、恋人になり結婚することを望んだ人も多いかと思います。
そこは、ちょっぴり残念でしたが、
恭子の結婚式当日に、【僕】が、手紙を発見して、12年後にも、生き生きと桜良の存在が活躍したのは良かったシーンでした。
スポンサーリンク
まとめ
基本的には【僕】の目線から見るお話です。
2人だけの濃密の時間が濃すぎてか分かりませんが、高校生の物語なのに、桜良が亡くなってからしか、大人が出てこない点、2人だけの濃密の時間が濃すぎたという表現なのでしょうが、私には、そこも現実感がなく違和感を覚えました。
頑張り屋のあまり、苦しい場面を見せない、桜良の闘病シーンが非現実感を覚えてしまいました。
個人的ではありますが、演者がかわいくて、キラキラしているからこそ、感情移入もしにくかったです。
膵臓をたべたいは、【僕】の中で生き続けて欲しいの意味合いで言ってるのでしょうが、(その手にはのりません!)
しかし、膵臓をたべる必要はないのです。桜良は、膵臓病でも亡くなった訳でもありません。
「ひまわり(向日葵)」の花言葉は「憧れ」「あなただけを見つめる」です。
主題歌のミスチルの物語を最高潮に盛り上げてくれた曲の名前は「ひまわり」です。DVDの表紙にも真ん中にどどーーんとひまわりが映りこんでいますしね。
と、ひょんなところから、タイトルを付け直してしまいました(笑)
でも、主人公は、桜良ちゃんで、桜を見に行きたいと言って、志半ばで、北海道に見に行けずに亡くなったのに、なんで物語に登場していない【ひまわり】なんだ?と新たな疑問もでてきてしまいましたが、そこは、【ひまわり】でお願いします(笑)。
とまあ、現実感があまりないお話なので、アニメの方が観ていて違和感なくみれるのではないか?と思いました。
君の膵臓をたべたい評価3.2
(本ページの情報は2018年10月時点のものです。最新の配信状況は U-NEXTサイトにてご確認ください。)